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目にはいるか耳に届くか [人]

 思いがけないことを見たりすることはありませんか^^


今朝は、国道の交差点でシニアカー(お年寄りの乗る電動のあれです)が、普通車のレーンを使って右折しているのを目撃しました。対向車がなかったので問題はなかったのですが、午前10時くらいのことでした・・田舎ですね・・・黄色の旗を立ててゆっくり曲がっていきましたよ




 忘年会で今年のことを振り返ることが多くなりました。

 元教師のある方は「ボクは水俣病の人たちとずっと関わってきた経験から、底辺の生活を人をちゃんと見るような政治が実現できるようにボクたちも頑張りたい」と言いました。

 ある人は「教師として『子どもたちを戦場に送らない』ことを目標に頑張ってきて、それが私の人生の活力だったけれど、世の中は変わってきたよね。でも私はやっぱりこれからも頑張る」「でもね、町内会で平和とか言うと『ここじゃね、下ネタしかうけないからそんな話はやめなさい!』って言われる」と言います。

 ある人は「もうすぐまた沖縄辺野古に行く。山城事務局長にも会うんだ」という方も。


 ラジオを聴いていたら「恋ダンスをたくさん踊って今年は楽しかった」という視聴者の声も。



 人は「見たいものしか見ず、聞きたいことしか耳に入らない」ものではありますが、耳を澄まして声を聞き、自分のことも振り返ってみましょう。

  

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あぁ~やっちゃったよ [人]

 トランプ米大統領が「エルサレムをイスラエルの首都と認定」するときに、ちゃんと反対する閣僚がいるという事実は、民主主義の原則を確認するものであってたいへん重い意思表示だと思います。中にいる者は保身から自分の意見が中々言えませんから。日本の太平洋戦争開始もそういう事実が重なっていきましたし、ポツダム宣言受託も遅くなりました。


 それにしても、「政治家は自分の地位が安泰でないと外に危機を創って国民の目を逸らせる」といいますが、今回は国民どころか世界中の目を逸らせる決定で、テロを仕掛ける者に良い口実を与えてしまいましたね。プーチンのロシアといい、トランプのアメリカ、そして我が国。どうなっていくのでしょう。

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サンデーモーニング [人]

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 町歩きついでにブラブラ掃除の日


 久しぶりにこちら方面に来ました。桂林公園を掃除している地区の方とか、自転車で通りかかる方とか、日曜日とあって人通りはまばらです。 


 歩くこちらも10年目ともなれば、足痛い膝痛い腰痛い・・腕も痛い・・で、ゴミを見つけてもちゃちゃっと動くこともままならないように・・・・


 大川の石の擁壁なんか滑りそうです~~慎重に慎重に~~


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 たくさん集めました!




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 頂き物のシュト-レンのようなパンと紅茶でモーニングしました。もうすぐ師走ですねぇ

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書き尽くせない [人]

 Hさんがポツリと「あんたは長生きしたいと思うかい?僕はね、長生きしたいと思うんよ。退職して悠々自適の兄が、『俺はそげん長生きせんでイイ。70才くらいで逝ってもイイねぇ。もう68才やからすぐやけど』って言うんやけどね・・僕は長生きしたい。欲が深いっちゃろうか?あんたはどげんね?」独り言のような質問でした。


 「ボク(ふだん私は僕とは言わないけど)はあんたの兄ちゃんと一緒でそげん長生きせんでいいと思っちょる。嫁さんには悪いけど・・生きるという環境には大満足してる。自分が恵まれてると思うからかな。惜しまれるうちに死にたい。」と言ったら彼は


 「ボクは、自分自身が惜しまれる存在とか記憶がどうとかそういうことにはまったく興味が無いんよ。ただ、長生きがしたいと思う。なんでかなぁ・・」その問に答えることはできないけれど

 

 私は「ほんとに故人を知ってる人が、その人との記憶に絡めて語ってくれたらイイねぇ。そういう葬儀が理想。弔辞の一つも無い葬儀は寂しすぎる。どんな人にも語るべきことがあると思うよ。」と言うと彼は


 さっきのように「ボクは写真も撮らんし残さないし、想い出とか語られることも期待していない。」「でもね、いろんな宗教があるけどやっぱり仏教に帰ってくるんよ。仏教はイイねぇ。なんでやろ?やっぱり仏教はお釈迦樣かい?」


 「仏教にはいろんな宗派があって、ほとんど全ての宗教の要素が入っているからだろうね。キリスト教やジャイナ教、ヒンズー教などお互いに影響し合っていることは確かだよ。」「仏教の祖は全てお釈迦樣。それは間違いない。だけど、釈尊像というか宗派によって捉え方が違うんだよね。例えば日蓮宗では『永遠の命を持った本佛がインドの地に2500年前に仮に姿を現されたもの』という捉え方をするんだよね。」


 文字にすると書き尽くせませんが


 それぞれの感性で、それぞれの生き方を求めるしかないのかもしれません。


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それぞれに [人]

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 山のお地蔵様の大祭ということで、三男と一緒にお勤めいたしました。元方の講中が3つあって、その講中の菩提寺が回り番で法要を営みます。今年はうちの講中が当番です。

 昨日から買い物をして材料を揃え、朝早くから料理やイノシシ鍋や、お餅、甘酒を用意してお客様を接待します。舞台も用意してカラオケや近くの小学校の金管バンドの出演もあるのだそうです。

 

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 講中の責任者になった方が言うには「村から出て行った人が、色んな面で気に掛けてくれて、寄付してくれるので助かっています。幕も今回寄付してくれました。若い者も少なくなって維持するのが難しくなってるけどありがたいですね。」とのこと。この後新聞記者さんも来て取材していました。


 頑張るところに光が当たるように

 それは守る人の心にもよります


 「このお堂の前を通る時に手を合わせる。それだけでも仏さまの光が届きます」





 しし鍋と〆鯖のヌタ、御神酒を三杯いただいて帰途につきました。




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 うちもこんな感じで大王まっちゃんが毎日落葉中です


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 松とケヤキ、藤、柏・・・自然の大きな恵みに感謝します。


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あったかく 熱く  [人]

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 昨日博多に出張、お昼は担々麺。唐辛子~~温まりますね~~




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 早く着いたので銅像様にお参りしました。


   



出張の目的は東公園の銅像様での会議、来年の御降誕800年教区大会の準備会です。

今九州場所が開かれている福岡国際センターのすぐ隣、福岡サンパレスが大会会場なので、昨日は実行委員の面々で下見でした。国際センターお相撲さんの幟がいっぱいでした。関取さんも街にチラホラ


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 裏口から舞台に上がると・・・舞台の大きいことが・・・ここは2000名収容のホールですが、そこよりちょっと小さめかな?っていうくらいすごく大きいんですね。せり上がりが2基。楽屋も大中小いくつもあって、そうとう広いです。


 どんな大会、法要にできるのか。特に福岡県の実行委員の方々にはたいそうご苦労を掛けています。各県の意向や熱意も違う中、よく頑張って下さっています。「心を一つに」しっかり締めていかないといけないなぁと、思ったことでした。




 で、翌日の


 今日は保護司会のボランティアの日。ボランティアと言っても最近は、保護観察の一環としての対象者の社会貢献活動でもあります。もう20年続いている活動なんだそうで、春秋の2回施設の庭木の剪定です。


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 小雨の降る中、腰前作ってみんな楽しんで頑張りました。


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 昼食は移動して公民館で更生保護女性会会員手作りのオニギリ、ダゴ汁、ポテトサラダに漬け物。


 剪定も食事作りも皆さん熟練の方ばかりで慣れてるので、何の問題もなくすっきり運びますね。・・・こんな場面で若い人がいると作業の仕方とか伝えられて良いのになぁと思います。



 若い人と言えば


 昨日の会議でも出たのが、「ベクトルが向いてない、関心が無いのが一番の問題なんだ!」ってこと。「檀家数の減少傾向とかそういうことが問題なのではなくて、関心を持つ人が少なくなってきている、そこにこそ宗門の一番の問題がある。そこに意識がないとダメだよ」熱く語られたその問題を我が事として、精進します。

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笑顔で [人]

 昨日は日蓮聖人ご命日法要でした。


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 大きなサラダカボチャを頂いたので、御会式にお参りされた方用に


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 これはお~きなお芋を頂いたので、Mさんがリンゴと梨とで炊きました。




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 第736年目の御会式法要後、30年以上総代を務めて退任される方へ感謝状。ご本人が高齢で来られないのでお嬢さんへ。日蓮聖人の御会式も総代さんのお務めも、続けてこられたからこその賜です。


 「心を発(おこ)す人は多けれども 退せずして誠の道に入る者は少なし」と日蓮聖人は仰られ、「サイの角のように歩め」とはお釈迦樣のお言葉です。続けることは誰にとっても難しいもの、少しづつ前へ一歩づつ前へ。




 本日は由布市の蓮正寺様を会場に、大分県護法大会開催です。

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 珍しい高座説教を、福岡県の中村雅輝上人にお願いいたしました。高座説教は浪曲の元になったお説教の形式です。涙あり笑いありの巧みな話術に拍手


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 お弁当と手作りの美味しい里芋汁を頂き、1時間半の法要後


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 清興の琉球太鼓の音色と踊りを楽しみました。




 人って笑顔になると美しいですね。自然な笑顔でいつもいられるように、感謝できる人でありたいものです。





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心通じて [人]

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 柊の花がたくさん咲いています


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 今年もきれいな紅葉になりました


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 第3納骨堂の前が吹きだまりになっていて、毎日ケヤキの葉がたっぷり!なので、夕方掃いていたら、藤棚の下でポケモンGOをしにやって来ていたお姉さんが、「いつもお世話になってます!手伝いましょうか?竹箒貸して下さい」とお手伝いしてくれました。


 一緒に掃除してくれたらなぁ・・という私の心の声が届いたのでしょうね (ー_ー)!!  


 彼女が「秋は葉が落ちると毎日大変ですねぇ。でも、こんな木の下で夏に本でも読んだら涼しくて気持ちが良いでしょうねぇ~」って言うので、「墓地があるので夏は蚊がたくさんで大変ですよ」と答えたら、「蚊除けのスキンミストをしてれば大丈夫!墓地もないようなお寺はダメですよ」なんだそうです。来夏は本を持参してくるかも~ 


 庭で掃除していても大概の方は「ありがとうございます~お疲れ様です~」と素通りなので、ちょっとうれしかったですね。Mさんに報告したら「いくつくらいの人?」って聞くので「たぶん50代」って言ったら「な~ん、おばちゃんやん!」  でも、自分より一回りも若ければやっぱお姉さんくらいに言っとかないとね^^





 またまた棟札書きしました。この方は道路の拡張で、建て直しします。

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 お釈迦樣が王舎城で法華経をお説きになったことから、個人の家の棟札にも「住王舎城」

気持ちは「いつもお釈迦樣の教えと共に」ってなんだかイイですね。

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善し悪しで [人]

 

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 今日は義母の3回忌法要でした。


 参道脇にある掲示板には


「損得ではなく 良いか悪いかで決めなさい」という釈尊のお言葉。



 自分を勘定に入れた損得による判断は時に人を狂わせます。

 「人として成すことが正しいかどうか」

 客観的な検証に耐えられるのかどうか


 それが、釈尊の説かれる「八正道」の基本です。




 およそ母と呼ばれる人は、子どもの幸せを求めます。そこに正邪の判断は入り込まないのでしょうが、人が人間らしく生き幸せを感じるためには、人として認められることが絶対必要です。


 自分を認め他を認めること。

それを身につけることが豊かに生きることの鍵でしょうね。

そういうお話しを、導師のお上人様は義母の生き様に重ねて参列者に語って下さいました。

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 [人]

 千年あかりで使ったアレンジの花がまだしっかりしているので 


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 内玄関でお客様をお迎えします。






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 今日は県の第40回更生保護大会でした。被害者支援センター理事長の三井嘉雄弁護士さんが「弁護士からみた被害者支援」という題で記念講演をされました。



 お話しの中で、先生は中国の魯迅の


 「思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」という言葉を引かれました。


 帰って調べると、「故郷」という中で彼はそのように言われているのですが、

髙村光太郎にも同じような有名な言葉がありますね。


 「僕の前に道はない。僕の後ろに道はできる」   「道程」



 魯迅は1881年生まれ~1936年没

 髙村光太郎が1883年生まれ~1956年没


ちょうど同じ年代を生きた2人が同じ趣旨のことを述べています。時代の言葉なのかもしれません。



2500年前、釈尊が「私が説いた教えは実は昔から人々が通っていた道である。誰も通らなくなって無くなろうとしているその道を、今再び私は皆が通るように指し示し、伝え、教えているのだ」と仰ったその言葉を思い起こさせます。



 希望を抱いた人や理想を高く掲げた人たちが胸を張って歩き、それが道になっていくように私は祈ります。


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